ゆるやかな自殺
ふと、しにたいと思う時がある。
一日に何十回も思う時もある。
ツイッターのタイムラインでもよく「しにたい」は流れてくるし、みんなしにたいんだなぁと思う。
もちろん本気でしぬのは嫌だ。
でも、もう、未来という不安から解放されたいと思った時、しにたいは襲ってくる。
それと同時に、こんなにフランクにしにたいと思えることに安心したりする。
一時期、摂食障害になった。
過食のあとに代償行為で拒食と激しい運動を繰り返していたから、身体がぼろぼろになった。
私は自分の摂食障害をぼんやりとゆるやかな自殺だなと思っていた。
こんな生活をしていたらすぐしぬだろう。血管が詰まって急にしぬかもしれない。
頭ではわかっていても私は別に食べたくもない菓子パンをばくばく食べた。太りたくないからその後ずっと食べないで、蒸し風呂みたいに熱い夏の部屋でビリーズブートキャンプをやりつづけた。
自分で勝手に上げたハードルに届かなくて、その空白を満たすように菓子パンを詰め込んだ。残ったのは罪悪感だけだった。
最近急にピアノジャズが聴きたくなって、ビルエバンスの動画を漁っている。
ジャズのことは何もしらない。
動画を見ていると、ビルエバンスは眼鏡に七三で清潔感が溢れている時期と、サンタクロースみたいに髭で顔が見えない時期があることに気がついた。
wikipediaを見てみると、晩年彼はドラッグによる体調不良で、顔や手が浮腫んでいたため髭で顔を隠していたのでは、と書かれていた。
徐々に体調を崩していき、それでも病院に行かなかった彼の最後は、時間をかけた自殺だといわれているそうだ。
こんなに才能のある人でも、正気では生きていけない。そう思うと、少し目の前が明るくなった。
真っ当な生活を放棄することは、ゆるやかな死へと繋がる。
しぬのが怖いのに、「生活」と向き合うことから逃げ続けている。